うまい人下手な人がいろいろ居ると思います。
一番需要なのは自分とうまい人と何が違うかが分かることだと思います。分かれば違いを埋めるように努力すれば良いだけですから。分からなければ、何をすればいいのかも分からないでしょう。
人間は目で見ていると思っていますが。実際は目で見た情報を脳で処理してみていると言うことなんだそうです。そこで、脳の働きとして、
○知らない情報を捨ててしまうようです。
もしくは、
○知っている情報と思うとそれ以上知ろうとしなくなるそうです。
そこで人によって同じ蹴っている状況を見ても
○ただ単に蹴っている。
○インサイドで蹴っている。
のようにそれぞれ情報の量に大きく隔たりがあるでしょう。
ですが、知らないと観えないというだけでは知らないとずっと観えないわけになる。
ただし、ある条件がそろうとみえるようになるようです。
その条件として、
○できるようになる。
○理解して分かる。
○かなり集中する。
とみえるようになるように思います。
ただ、意外と難易度は高そうですが。擬似的にそれに近づけるような方法を用いて、できたり、解るようにすることも可能だとおもいます。
できるようになる方法に、手順を踏んでいって、それ以外の方法ではできないように形を作ることによってできるように練習する。
集中したり解るための方法として、スローモーションの映像を見たりして解析して、力学的にだとか、他の現象に例えるようにして解るというのもあるでしょう。
できるようになると見えるようになるのはある意味空耳のように、一度、英語の歌なのに日本語の空耳のように聞こえてしまうとそれ以後も空耳で聞こえるようなもんでしょうかね。もしくは、手品でも種がわかると見るところが変わってくるようなものかと。
長いこと時間をかければできるようにはなるでしょう、それでもできない人もいるとおもいます。
短い時間の間でできるようになるには、仕組みを理解してから練習をすることによって早くできるようになるのではないでしょうか。仕組みがわかれば練習法なんかいくらでも作れますしね。
そう言った目的のために、図で書いたり、一つ一つの動き方を細かく書いているつもりなんです。
やっぱり興味を持って知ろうとすることができるようになることの一番の近道となると思います。
補足
見る、観る。漢字が違うだけでしょうが、それぞれ異なるよう。なんとなく見るのと、深く考えて観るの違いなのかなと思ってここでは区別して書いてみました。
観見の目と言うのをみてると、観の目は景色や絵でも見るようにぼんやりと全体を眺めるという感じで使ってるのかなと思ってたけど、心で観るんだというのが多いようです。
実際に試合の中では、みている対象に対して意識を向けないようにすると、まんべんなく観れるように思うんですがね。
視野を広くするで書きましたが。